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「逃げ道」のその先は…
メール学習も出席扱いに 不登校対策で文科省 | Excite

 これね、一概に良いとか悪いとか、いえないんだけども、そういった事の根本と、そういった事の対処のズレっていうのがある気がするんだよね、いつも、いつも。

 そもそも、そうなっていくっていう素地なんなのか、ていう事と、一時しのぎにしろ、対策法は関係なしに考えるわけにはいかないよね。
 だってアルコール依存症の人の禁断症状対策にアルコールを少量与える事は自分の弱さを弱さで補う方法を与えるに過ぎないもの。
 そういった対処療法は効果はあるだろうけど、なんかね、ちがうかなぁ、て思う。ましになっていく気がするだろうけど、その人がその闇を振り切ることを「ごまかして抜ける方法」を与えているだけなのかも。

 心の強い人が心の弱い人に「もっと強くなれ」ていってもどうにもって感じだけど、やさしくいわれても腹立つんだろう。弱い人は弱い事のいい訳をどうしても考えてしまうし。

 きっといまからボクが書く文章は実際の不登校とかひきこもりとかニートとかそういった人たちにとっては否定したくなる話だと思うから、嫌な人は読まない方がいいかも。



 ニートとか、ひきこもりとか、自殺とか、少年犯罪とか、そういった事の根本にあるのはいうまでもなく「心の弱さ」なんだけど、そういった弱さっていうのは、段階を踏んで育っていくものなんだと思う。植物に似て。時間が経つほどに根は深く、広く、抜けば周りの土を根こそぎ持っていって、元に戻せないほどの穴をあけてしまう。

 物事、いきなり大きな事から始まる事は少ない。特に性格とかに関わる事とかはきっかけがあってそれにどう向き合ったかでかわってくんだろう。
 「今日がっこだるいなぁー」ていう、どっちでもいいことからかもしんないし、親が死んだとか深い事かも知んない。でもそのきっかけのときにどう動けるかがその先に関わる。
 「ねむぃけどまぁ電車で寝ればいっかぁ」「キツいけどウジってもしゃーないか」そういえるかどうか。
 その時その時の状況を軽くながせれば、もう次。できずに自分の楽な方に甘えちゃったら、ほら、種が芽を出し始めてる。
 深い出来事であろうと、軽く流していくしかないんだよね。深い事を深く考えるのは心が強くなってからでも良い。キツいときにキツい事考えると死にたくもなるってもの。心のキャパが大きいなら立ち向かうのが一番だけど、ないならないで自分のキャパで対応できる範囲以外は抱え込まない事が大切。
 それで、出来る範囲の努力ならちゃんとしとくのがいいかと。

 ボクの友達にドラマみたいな人生のがいて。小学校で母親は男の人のとこいって、中学は施設に入れられてて、高校は父親と知らない男と同居の中住んでて、その後は新聞配達しながら学費払って・・・。そんな友達に無神経にもおもわず「大変だね」っていっちゃったとき、「てゆか、気にしてても仕方ないし?大変とかいっても、やんなきゃなんないならやればいいだけだしさ。」てさらっと。その友達のすごいなと思うところはがんばろうとしてないんだよね、さほど。努力してないって意味じゃなくて、大木よりも竹の方が嵐に強い、みたいな生き方っていうか。

 どんなにつらい環境で育っても、強い人は強いし、いい人はいい人になる。どんないい環境で育っても、よくない方向になる人も多い。それはつまり。環境が問題っていうより、結局その人自身の問題なんだと思う。

 さっきの友達の場合、しなきゃいけないことを出来る範囲でっていう姿勢で、出来ない事は後で出来るように仕掛けだけ用意するようにするんだとか。
 ボクはあまり根性とかないから、今しなきゃどうにもいけない事を、まず嫌でも何でも、する。すぐしないと嫌な気持ちが蓄積して本当にしたくなくなるから。それで、終わった後遊びにいく事とかを胸において、「ちゃっちゃとやっちゃいますかぁ」って終わらせてく。

 多少、心は傷ついても強くなっていかなくちゃなんない。汚れる事と、傷つく経験を重ねる事とは違う事。その度その度痛い思いをしても立ち向かってたら、心は強くなるし。たとえばそれがいじめだったとして、始めになんかされたときに立ち向かうのに必要な力と、かなりになってるときに必要な力では全然違うハズ。始めに対処できてたらそれは自分を強くできる要素の一つになったろうけど、末期になってたら自分の存在の危機ですらあるよね。

 ひと付き合いが煩わしいとか、疲れるとか、そんなの、ボクもある。誰でもあるんだろうけど、始めのヒトフンバリを耐えると、割と慣れちゃうもの。一度避けると、どんどん避けて、よけい付き合いを再開しにくくなるものだしね、人間なんて。

 よくある「高校デビュー」とかさ、環境とか学校がかわるのをきっかけに変わる人も多いけど、あれもひとつの手だよね。きっかけを利用するのも。


 「簡単にそういう事いうけど、お前はどうなんだ!」ていわれると「どうもないよ」て答えると思う。
ボクはそういう不登校の経験はないけど、いきたくないなぁ、と思う。でもそんな事いってても始まらないから、いく。タバコやめる時も「やめよ。」って軽いのりで、深く考えない。考えたらすいたくなるし。やめれるかっていわれると、多分また吸う。でもそれでいいんだ、がっちりきっちりかんぺきにって思う方がやんにくいしね。
なんでもいいから、とりあえず始めてみなきゃ始まんないし、始めから完全を求めない。そのくらいの気持ちの方がいいと思う。気負いすぎると息が詰まるし、楽しくないし。だから不登校なんて「とりあえず一日いってみよっか」でいいし。いったらみんなにどういわれるかとか、考えなきゃ良いんだよ。後の事は後の事。とりあえずいってみる。言ってなんか言われたらとか考える力を使って、まずはドアを開けなきゃね。
 
 昔の人にひっきーとかニートがいないわけでもなく、ただ居るのは大金持ちのとこだけだとか。なんでって、理由は単純。本当に働かざるもの食うべからずだったからなんだとか。
迷う余裕も、将来どうするか選ぶ時間もなくて、とりあえず何か仕事しながら考える、ていうスタンスだったんだそーな。とりあえずやってみて、そのまま続けるにしても転職するにしても、やっぱ、はじめてみなきゃはじまんない、だったんだね。良いも悪いも経験してみないとねー。ワカルワケナイし。


 それとニートの人とかのブログとか読んでたら、なんか一人称が多い気がする。視点が自分限定っていうか。まるでこの世に自分しか「自分」がいないみたいな。
 自分にとってどう、とかさ、相手にとってどう、とかっていうかね、一億数千万の自分の集合が日本な訳で、自分の想いって言うのだけが尊重される事は勿論、ないし、それには自分以外の気持ちが尊重されたりしてる場合でもあるし。
 だから自分をなくせとか尊重しなくていいっていうんじゃなくて、自分をいかせとか尊重しろとか叫べって言う事でもなくて、もっと、なんていうか、誰かじゃなくて誰もがっていうスタンス。自分が何かをみる時、自分のように何かを見ている人が居るって言う認識。
 自分がどうかってだけでみてるのはちっちゃいなぁ、て社会人になった時は思ったもんだねぇ^^;

 自分にとっての逃げる道に甘えるかどうか。それがひとつ。
 物事を自分視点でだけ、自分だけの世界をやめれるか。それがもひとつ。
 結局全ては当人の心一つ、なんだけどね。

 んーと。始めの話に戻るけど、学校側とかが対処するのにはって話だけど、今まで書いたような理由で、 後になればなるほど深みにはまっていくもの。だから実際、ああいった形容詞で呼ばれる状態になってどうこうしようって言うのは難しい。だからといって「いっそこなくてもいいから」てメールとかFAXで授業参加、ていう道作ると、そういう楽な方向に流れるし、そうなるとますます「いかなくていいじゃん」て自分に言い訳させるだけなんじゃないかなぁ。
 それはその場しのぎにはなるだろうけど、ますますちっちゃくなっちゃうだけでさ、その後、もっと深みにはまって、それでもまだ自分の安楽な方に逃げてしまうと思うんだよね。根が張りすぎると、抜くのは大変になるから。

 友達が初期のうちにむりやりにでもひっぱっていくのがいいんだろうけど、そんな友達が居たら不登校になってないか・・・。やっぱ、自分から始めなきゃね、ゲームだってスタートボタンおさなきゃ始まんないし。コンフィグとかオプションばっかみてても、ね。
by twinkle_spica | 2005-06-29 02:01 | 世事
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